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結果ではなくプロセスを褒めよ [賞賛文化について]

さらにいえば、褒める視点として重要なのは、結果ではなくプロセスで評価するということだ。例えば子供が部屋を片付けたとき、「部屋がきれいだね」と褒めるのと、「片付け上手だね」と褒めるのとでは微妙に違う。前者は事実を見ているだけだが、後者は行為を見ていることになる。

本人にとってどちらがよりポジティブに受け止められるかといえば、やはり後者だろう。「片付け上手」には誇り高さが感じられる。もっと「上手」になろうというモチベーションが生まれる。これが「褒める」ということの意味である。

この「○○上手」は、さまざまな場面で応用できる。「メール上手だね」でも「電話上手だね」でもよい。あるいは宴会の幹事などに対しては、「仕切り上手だね」も極上の褒め言葉だ。少なくとも「鍋奉行だね」などと言われるよりは品があるだろう。

表現を換えるなら、絶対量ではなく変化率で褒めるということでもある。いつも90点を取っている人が95点を取れば、もちろん賞賛に値する。しかし、いつも30点の人が60点を取ったとしたら、もっと褒めてあげてもいい。

客観的に見れば、「60点」はさして評価の対象にならないかもしれない。しかし本人にとっては、「結構頑張った!」という実感があるはずだ。そこを他人に褒められれば、素直に嬉しく思うだろう。「次はもっと頑張ろう!」という気になるかもしれない。

同様に、なかなか人目につかない部分で頑張っている人、誰かがやらなければならない面倒な仕事で苦労している人も、十分に評価する必要がある。「誰かがしっかり見て、感謝しているんだよ」というメッセージを送るわけだ。

大学でも、頑張っているのに目立たない学生は少なくない。そういう学生にこそ注目し、褒めてあげるのが先生の仕事だ。例えば、「あの難解な本をよく読みこなした」とか「あのレポートは素晴らしかった!」など、学生の地道な努力を極力褒めることにしている。

先生に褒められれば、学生は例外なく喜ぶ。それは「単に評価してくれた」ということだけではなく、「自分のことを見ていてくれた・・・」という安心感や親近感を抱くことができるからだ。これは先生と学生の関係のみならず、あらゆる人間関係にとって重要なポイントである。

例えば女性に会ったとき、身につけているアクセサリーを褒めると、大抵喜んでもらえる。ブランドや薀蓄(うんちく)など、関連する話をいろいろ聞かせてくれたりもする。アクセサリー1つにも、女性にとっては何らかの気配りやこだわりがある。「そこに気づいてくれた」と思えば、嬉しくないはずはないだろう。

あるいは、前回に会ったときとの違いを指摘する手もある。「今日のアクセサリーは前回とは印象が違いますね」と言えば「見ていてくれたんだ」と感謝されるに違いない。その意味では、印象を記憶しておくことも大事である。





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褒め方の解釈は自己流でいい! [賞賛文化について]

では、一見して「貰めどころがない人」をいかにして褒めるのか。ここで重要なのは、「視点を変える」ということだ。「打たれ弱い若者とどう接するか」で書いた「叱る」とは対照的に、自分なりの解釈を最大限に活用するのである。

たとえば日常生活でも、目的の店に行ったら休業日だったとか、予定の電車を逃して遅刻した、といったことはよくある。そういうときも、考えようによっては「おかげで時間が空いた」と捉えることができる。おそらく身の周りで起きる多くの事象は、ポジティブな解釈が可能ではないだろうか。

それと同じように、人の見方も変えてみることだ。実際、人間の短所と長所は表裏一体なことが多い。一般的にマイナス面と評価されている部分も、ポジティブに捉えることは不可能ではない。むしろマイナスをプラスに変えて評価することができれば、言われる本人も嬉しいはずだ。自分かマイナスと思っている部分を慰められることもある。プラスと思っている部分を褒められるより、ずっとポイントは高いだろう。

たとえば、いつも口先だけで適当な発言をする人がいたとする。世間はそういう人を「無責任」「軽々しい」と批判するだろう。しかし裏を返せば、「フットワークが軽い」「アイデアが次々と出る」と評価できなくもない。「その能力を活かして、新しいものを生み出せ」とアドバイスを送ることもできるだろう。

あるいは教師の世界でも、きっちり5時に帰宅できる人と、6~7時まで残業してしまう人がいる。効率で考えれば前者のほうが優秀で、後者は「仕事が遅い」「グズグズしている」という評価になる。しかし後者の場合、実は生徒からの相談を受けて遅くなるというケースがよくある。それだけ指導に親身であり、生徒からの信頼も厚いということだ。これは教師としての能力が低いのではなく、むしろ資質に溢れていると評価すべきである。

だいたい性格的な短所や弱点といったものは、いくら人から注意されたところで、簡単に修正するのは難しい。最低限の部分は「叱る」ことで直す必要があるが、それ以外なら見方を変えるほうが得策だ。どういう分野であれ、短所を無理に克服するより長所を伸ばしたほうが、上達は早いのである。



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1日3分の「褒め時間」をつくろう [賞賛文化について]

ドストエフスキーの「罪と罰」に登場する悪役キャラ・スヴィドリガイロフは、以下のようなセリフを吐いている。「一人の例外もなく、全女性に決定的な作用をするものです。この手段とは、誰でも知っている・・・例のお世辞というやつですよ」

全女性のみならず、人に褒められてイヤな気のする人はいない。それがたとえ見え透いたお世辞であっても、叩かれたり無視されたりするよりはずっといい。要は、褒められることに飢えているのである。すでに世の中で成功している人なら、もう褒められ慣れているかもしれない。しかし、圧倒的多数の成功していない人、褒めどころが難しい人ほど、「褒めてもらいたい」という欲求は強いはずだ。

したがって、そういう人に対しては、ちょっとした褒め言葉でも効果絶大だ。ちょうど高級スイーツのように、少量でもウットリと印象に残り、いつまでも効くのである。そこで提案したい。1日に3人ずつ、それぞれ最低でも1分だけ褒める時間をつくる、と決めてみてはいかがだろう。人の実力を評価・判断するのではない。最初から「この人を褒める」と決めてかかるのだ。

そのためには、若干のお世辞が含まれていてもかまわない。「親しき仲にもお世辞あり」の精神で、1日都合3分の「褒め時間」を日課とするわけだ。それを手帳にでも毎日記録していけば、なおよい。気がつけば、多くの人と良好な関係を築いていることになるだろう。別れてしばらく経った後、「ああ、あのことを褒めておけばよかった」と後悔し、次の機会にとメモするようになれば、褒める習慣がつきはじめたといえる。

対象は、やはり褒められ慣れていない人、つまり褒めどころの難しい人がよい。まだ開花していなくても、その人が持つ「芽」や「種」を見つけ出し、「いい花が咲きそうだ」と褒めるのがポイントだ。

逆にいえば、人を褒めるには洞察力や直感力が必要ということでもある。誰の目にも明らかな成果や実績に対して客観的な評価を下すのは、褒めることとは違う。これも仕事上では重要だが、一種のフィードバック機能にすぎないのである。




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「減点主義」はもう通用しない [賞賛文化について]

日本は、世界でも稀に見る減点主義の国である。それでも国として歴史的に失敗してきたわけではないので、そのすべてが悪いとはいえない。それに、ネガティブシンキングにも味わいがある。太宰治の「人間失格」のような絶望的なネガティブさは、人を引き付けて止まない。あるいはドストエフスキーをはじめとするロシア文学の登場人物たちも、単純なポジティブシンキングの人などいない。

それぞれにプライドが高い一方でコンプレックスにまみれ、実際には何もできない人ばかりだ。そういう人間臭い部分にこそ魅力がある。誰もがポジティブに効率を追求する社会が自然かといえば、けっしてそのようなことはないだろう。

とはいうものの、従来どおりの減点主義が今の日本人にマッチしているかといえば、いささか微妙だ。かつての日本人は、良かれ悪しかれメンタリティが極めて強かった。支配階級だった武士でさえ、何かがあればすぐに切腹。それも「喜んで死にます」ぐらいのことを平気で言うマインドだった。「死を賜る(たまわる)」という言葉さえあったほどだ。その当時と比べれば、今はまるで国が違うといっても過言ではない。

だから昔の感覚で減点ばかりしていると、すぐに潰れてしまう。特に20~30歳代以下の若者に対し、かつての人なら、いい潰け物をつくる感覚で傷口に塩を塗るようなティーチングもしてきたが、今やそういうやり方は通用しない。千尋(せんじん)の谷に落としたが最後、二度と登ってこない者が増えている。「もっと励ましてもらいたい」「やさしくコーチしてほしい」という思いのほうが圧倒的に強いのだ。

あるいは、あまりにもネガティブ志向が強かったり、勝手に現状で自己満足している若者もいる。本来は何らかの能力を持っているのに、それを発揮しない、あるいは発揮しようともしない若者が多いとすれば、それは本人のみならず社会にとっても損である。そういう人に対しては、もっとポジティブな方向付けが必要だ。

つまり、今日の日本に必要なのは、従来型の「減点主義」ではない。それとは真逆の「賞賛」の文化だ。人を褒め、人を励まし、その気にさせること。一分どころか一言のコミュニケーションでも、それは可能だ。





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「打たれ弱い」若者とどう接するか [1分の使い方]

ただし、概して今の人は叱るのも叱られるのも苦手だ。そもそも「叱る」の前提は、お互いに心が通い合っていること、そして「相手のことを思えばこそ」という感情があることだ。しかし最近は、その基本的な人間関係が希薄になっている。だから必然的に、叱る行為自体が減っているのである。

たとえば親にしても、「子どもが何を考えているかわからない」「嫌われたくない」という感情が先に立って、子どもを叱れない人が増えている。そういう家庭で叱られないまま成長した子どもは、免疫ができていない分、外に出たときに脆い。社会人になって上司に叱られたり、思うような仕事ができなかったり、何か壁にぶつかったりすると、すぐに「へこむ」という状態になるのである。

私にいわせれば、むしろ何度でもへこんで出直したほうが強い人間になれると思うのだが、その甲斐性がない。一度へこむと、もう出てこなくなったり、相手のことを毛嫌いしたり、別のステージに逃避したりする。つまり、深い人間関係も築きにくいわけだ。

かれこれ20年近く大学の教員を務めているが、その大きな変化は肌身で感じている。だから言葉遺いもずいぶん優しくなったし、なるべくキツく叱らないように注意している。それに代わって意図的に増やしているのが、次章で述べる「褒める」という行為である。

効果的な短い叱り方
  1. 事実を突き付ける。何が悪かったのかを紙に書いて「注意メモ」とする。
  2. 「注意メモ」に基づいて相手と話し合い、原因、弁明、反省の言葉を引き出し、「注意メモ」に書き込む。そして、改善 点を導き出す。
  3. 「注意メモ」の最大ポイントを赤で囲み、同じ失敗を繰り返さないための対策を青で囲み、日付と二人の名前を書いて相手に渡す。



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子どもを2時間叱っても、効果は薄い [1分の使い方]

私がこういう叱り方を実践するようになったのは、かつて息子を叱っている際に気づいたことがあるからだ。何か原因だったかは忘れたが、気がつけば私の説教は2時間に及んでいた。後半はただ感情に任せ、「どうしてお前はそんなにバカなのか」といった言葉をぶつけるだけになっていた。

一方、息子はまだ小さかったから、2時間も黙って親の説教を聞くほどの体力も忍耐力も持ち合わせていなかった。その結果、彼は聞く耳を持たず、私の熱弁の大半を見事にスルーした。後半は、なぜ自分が叱られているのかさえわからなくなったという。感情的な叱り方に意味がないことを、私は思い知らされたのである。

そこから発想したのが「注意メモ」だ。同じく息子を叱るにしても、そのメモを見せながら「問題はこれだから、こうやって直せ。わかるよな」とやる。ただし一方的に書いて押しつけるだけでは、子どもは威圧的に感じてしまう。反論や反省も聞きつつ、一緒に対策を考える雰囲気をつくることが大事だ。

それをメモに書き込んだ上で、3回ほど声に出して読んでもらう。これで説教は終了である。あとはメモを渡し、「これを勉強机のビニールマットの下に入れておくように」と指示する。これなら、まさに1分で済む。

その後は、ときどき机のメモを指しながら、「ちゃんとやってるか?」と確認すれば十分だ。私の経験からいえば、このほうが長時間の説教よりはるかに効果がある。もちろん、こういう「注意メモ」は複数あってもよい。

何か問題が起きるたびにつくり、それぞれ部屋のどこかに貼っておいてもらう。そこに箇条書きにされた対策を完全にマスターしたら、順次外していくのである。

子育てにかぎらず、人を叱ったり指導したりするということは、こういう作業の連続であるべきだろう。人は自分の目の前で作成されたものに対して、心を開きやすい。この方法を身につければ、「叱る」の概念は人きく変わってくるはずである。



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「手書き」ならではのコミュニケーションツール [1分の使い方]

ビジネスでも家庭でも、立場上、人を叱らなければならない場面がある。叱られる側も辛いが、叱る側もおもしろくはない。こういうことこそ、1分で、しかも有効な方法を工夫したい。

まず大前提として、叱るときは事実を突き付けることが条件だ。そこに、自分なりの解釈を差し挟んではいけない。たとえば上司が部下に対し、「オレは気に入らない」「オレの流儀に反する」などと叱ると、部下は対応も反省もしようがないだろう。

そこで重要なのは、何か悪かったのかを紙に書いて整理することだ。事実関係を確認することにもなるし、自分の感情を鎮めることにもなる。私はこれを「注意メモ」と呼んでいる。

その上で相手に面と向かい、「注意メモ」を見ながら「これとこれは良くないね」と諭していく。また「どうしてこうなったのか?」と相手に発言権を与え、原因や弁明や反省の言葉を引き出す。それを「図化」によって「注意メモ」に書き込みながら問題点を絞り込み、「それならここをこう直さないと」という結論を導き出す。

そして最後に「注意メモ」の最大ポイントを赤で囲み、また同じ失敗を繰り返さないための対策、つまり「今後はこういう部分に気をつける」とか「明日から○○を日課にする」といった部分を青で囲む。そこに今日の日付を入れ、「byOO」と自分の名前を書き込み、「これでもう大丈夫だな」と相手に渡す。これならざっと1分で終わるし、お互いに後腐れもないだろう。

それに「注意メモ」は手書きだから、ちょうど手紙のように、いいコミュニケーションツールになる。活字で書いてプリントアウトしたものだと、ありがたみが薄いし、ぬくもりもない。何か書いてあっても、すぐに忘れてしまうだろう。手書きだからこそ、1分のやりとりでもメッセージが心に残るのである。

その延長線上で考えれば、メールを使って叱るのも止めたほうがよい。「注意メモ」をメールで送れば顔も合わせないから、お互いにイヤな思いをせずに済む、と考えるのは早計だ。若干の想像力を働かせればわかると思うが、上司から無機質な文面で叱られるのは、受け取る側にとってかなりの痛手になる。肉声も肉筆もない分、行間を懸命に読もうとして、いろいろ考え込んでしまうだろう。その結果、余計な感情のしこりを残すことになりかねないのである。



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せっかくの出会いを次回につなげるために [1分の使い方]

いずれにせよ、初対面の場での最大のポイントは、最初の1分で共通の話題を見つけることだ。お互いをつなぐ「一本の線」を発掘する作業ともいえる。それは時事問題やスポーツでもいいし、テレビ番組でもいいし、あるいは持ち物やペットなどでもいい。

これには、その場を持たせること以外にも意味がある。より関係を深めて次回につなげるということだ。名刺交換をして、社交辞令的な話だけで別れたとすれば、お互いに印象に残らない。後で名刺を見返しても、どんな人だったかさえ思い出せないだろう。これでは、時間と労力のムダだ。

その点、何か一つでも共通の話題があれば印象に残る。フォローのメールを出せばさらに効果的だ。サッカーの話でも、ペットの話でも、次に会ったときにまた続きを話すことができる。あるいは疎遠になったとしても、かつて発掘した「線」をたぐり寄せるように、共通の話題を持ち出せばすぐに関係を復活できる。よほど意気投合したのなら、むしろそういう機会を積極的につくろうとするかもしれない。

そこから先は、お互いの人間関係しだいだ。ずっと「サッカーの人」「バットの人」という印象だけで継続するかもしれないし、あるいはそれを突破口にして、ビジネスの話に発展するかもしれない。いずれにせよ、そういう関係をつくれるか否かは、初対面の最初の1分の印象で決まる。これを覚えておいて損はない。

「1分でそこそこ仲良くなるには」
  1. 名刺、または相手の持ち物やファッションから話題の糸口を見つける。
  2. 「最近おもしろかったテレビ番組は?」「たとえば、テレビな どでは、どんなものをご覧になっているのですか?」などと、テレビを話題にすると無難。
  3. ある程度仲良くなることに成功したら、フォローのメールを出すと、さらにお互いの印象に残るようになる。


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共通の話題を探るなら「テレビ」が無難 [1分の使い方]

どんな状況であれ、ビジネスパーソンと話すとき、相手が属する業界・業種に関する話題を振るのは常套手段だ。特に男性の場合、自分の業界の話を嫌う人はあまりいない。

そのためには、ふだんからある程度広い視野で情報を集めておく必要がある。「A社の○○という商品が売れているそうですね」とか「先日の新聞に載っていた、あの問題はどう決着しそうですか」などと問いかけられれば有効だ。

もちろん、そういうタイムリーな情報を常に持ち合わせているとはかぎらないだろう。そこで次に無難なのは、男性が相手ならスポーツ新聞ネタだ。そこに書かれているスポーツ・芸能情報は、いわば可もなく不可もない話ばかりである。そういう平和な話題であれば、誰にとっても話しやすいのである。

同様に活用できるのが、テレビネタだ。私もたまに、相手との共通点を見つけようと思うとき、「最近おもしろかった番組は?」などと問いかけることがある。好きなテレビ番組を聞けば、その人の興味・関心の方向がわかる。しかもマニアックな趣味に走った番組は少ないから、共通の話題が生まれやすい。

たとえば相手が「サッカーのチャンピオンズリーグを見ていた」と。言えば、サッカー好きであることがわかる。それをきっかけにサッカーやスポーツの話で盛り上がれば、それだけで友達感覚になれるだろう。あるいはドキュメンタリーやバラエティでも同様だ。

だから私は、比較的よくテレビを見るようにしている。そこから情報を得るためではなく、時代の空気を感じ取るとともに、話題の守備範囲を広げるためだ。まんべんなく見ておくと、幼児や高齢者とも話を合わせられるようになる。

自分の好きな情報を集めるだけなら、インターネットでもいいだろう。テレビよりユーチューブのほうがおもしろいという人も少なくない。しかしネットばかりでは、得られる情報が偏ってしまう危険性がある。

その点、テレビの良さは、不特定多数を対象にしていることだ。だから内容はけっして深くないが、広がりはある。大の大人がユーチューブで「ちびまる子ちゃん」を見ることはないだろうが、日曜の夜にふとテレビをつけて、たまたま見入ってしまうことはある。それによって、子どもとの共通の話題ができたりするのである。

テレビを見るための時間を、わざわざつくる必要はない。自宅にいるとき、漠然とつけておく程度で十分だ。本や資料を読む際も、テレビはほとんど支障にならない。むしろ番組を自分でセレクトしない分、余計な情報が自然に入ってくる。こういう些細な工夫で、話題の幅を広げることができるのである。



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「小物」で話のきっかけをつくる [1分の使い方]

いわゆる「立食パーティが苦手」という人は多い。誰にどう話しかけていいのかわからず、元からの知り合いとばかり話したりする。あるいは一人で参加した場合など、文字どおり「立食」だけで終わってしまうことも少なくない。

ただ本来、立食パーティは紹介し合うためのものだ。自分の知り合いどうしを引き合わせ、その二人が話し始めたら自分は去るのが暗黙のルールである。そういう仲介者がいないと、なかなか場に溶け込むのは難しいだろう。

そういうときは、「とにかく一人と知り合いになれればいい」と考えてみてはいかがだろう。逆にいえば、それを自らの「ノルマ」として課すのである。その場合も、成否は最初の一分で決まる。いかに話題をつなぐかが問題だ。

狙い目は「一人で所在なげにしている人」複数で盛り上がっているところに割り込むのは失礼だが、相手も一人ならなんとかなる。「こういうパーティも疲れますね」「今日はどういう経緯でここへ?」などと話しかける。少なくとも、その場にいるという共通性が話題のとっかかりになるだろう。

そこで話に詰まると、気まずくなるだけだ。そうならないために、いくつかの「アイテム」を用意しておく手がある。その典型例は名刺だ。誰でも知っているような有名企業なら、その業界の話を肴にできるかもしれない。しかし無名の場合には、いちいち説明すると時間がかかるし、相手が興味を持たないかもしれない。そこで名刺の裏にでも、簡単なプロフィールを書き込んでおくのである。

とりわけ有効なのが、会社よりも個人のプロフィールだ。出身地や趣味や資格など、仕事とは関係なく、大雑把に「人となり」がわかればよい。そこから相手が何らかの共通点を見つけてくれれば、話のきっかけになるだろう。

さらに、何か特徴的なものを持つのも手だ。先日もある立食パーティで、「最近、これにハマっているんです」と「iPhone」を取り出して実際に使ってみせてくれた人がいた。楽しめたし、親しくもなりやすかった。

あるいはパーティの話ではないが、ある女性編集者は、数万円もする外国製の万年筆を持ち歩いている。一目でそれとわかる高級品だ。もちろん自分からひけらかすわけではないが、取材時などに取り出すと、先方に興味を持たれることがよくあるらしい。それをきっかけに若干の雑談で場を温めるのが、彼女の考え出した「戦術」だ。

また、持ち物という観点で相手を観察するのも手だ。たとえばネクタイや時計、メガネ、名刺入れなど、ちょっと特徴的だったり高級品風だったりしたら、そこに話を振ってみる。無理して「似合っている」などと言うとわざとらしいので、そこまで持ち上げる必要はない。「その時計、あまり見かけませんね」「そのネクタイ、ブランドはOOですか」といった類で十分だ。

相手が気に入って身につけているものだとすれば、それを話題にされても、けっしてイヤな気にはならないはずだ。むしろ「よくぞ気づいてくれた」と好印象を抱いてくれるはずである。



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